コンクリートの体温

 私は、コンクリートに寝そべっている。借りているアパートの近くの住宅街の道端に、寝そべっている。転んだとか、そういうわけではなくて、急に、寝そべりたくなったからだ。

 コンクリートは、生ぬるかった。五月のくもり空、寒くも、暑くもない日のコンクリートは、生ぬるかった。ほんの少しだけ、あたたかかった。

 どうしようもない日があった。

 わたしは働いていた。本当は一秒もこんなことをしたくないなあと思いながら、働いていた。その仕事は、たぶん、わたしには向いていなかった。愛想笑いは得意だと思っていたけど、それは所詮「愛想」なわけで、ほんとは笑いたくもないのに、ほんとは人に親切にしたくもないのに、毎日知らない人に対して、まるで明るく優しい親切な人みたいな自分を作って過ごさないといけないことが、どこか気持ちわるかった。

 そう偽装した自分に気持ちわるいと思うのではなくて、その奥にいる本当の自分の居心地が、悪かったのだ。本当の自分が、偽装した自分に居場所の面積を奪われて、すみっこにいて、でもこんなにおしこめられてどう過ごしていいのかわからない、といってどこに落ち着いたらいいのかわからなくて、それが気持ちわるかった。

 毎日のように働きに行って、本当のわたしだと思う自分が、世界に存在している時間が減った。わたし以外の何かになっている間、本当のわたしというものは、無なのだ。

    その日も働きに出た。いつものように愛想笑いをして、ロッカーで着替える。いつものように愛想笑いをしてお客さんを出迎える。いつものように、あ。あの人はなんで、あんなこと言うんだろうなあ。朝見た、あの、夜に送られてきたライン。なんであんなことが言えたんだろうか。わたしのことが、好きって、言ったじゃないか。

    どうでもいい喧嘩だったと思う。昨日、なんとなくお互い譲れないようなことを、ついついラインで話してしまった。あーあ、失敗だった。なんであんなことを、あの人は。ぐらり。

    と、頭の中が揺れた気がして、気づいたら喉がつまり、わたしの「いらっしゃいませ」は声にならず、じんわりと涙が出て止まらなかった。頭が余計にぐらんぐらんときて、あ、もうダメだ。と、思った。もうこのままここでへたりこんでしまって、わたしの社会的な何かを全て諦めようかと思った。

    後ろから、同僚がやってきて、わたしを裏へ連れて行って、そのまま抱きしめた。

    10程は年上の、いつも笑顔で愛想のいい女性が、「大丈夫よ、つらかったのね。大丈夫。あなたはいつも笑顔でがんばってる」と言った。わたしのことを優しく抱きしめながら。

     わたしはその女性の胸の中、優しく伝わる体温を感じた。一瞬冷静になったが、涙をすぐ止めることはできなくて、そのまましばらくは泣いた。


    もう引っ越す予定のアパートの前で、わたしはあのときのことを思い出していた。この生ぬるいコンクリートのように、あのときのあの女性の体温は生ぬるくて、優しい人だとは思っていたけど、でもわたしが彼女に向ける笑顔は、申し訳ないけれど愛想笑いのうちのひとつで、彼女がわたしの腕に触れたとき、一種の気持ち悪さを感じた。よく知らない人の優しさは、このコンクリートの生ぬるさと同じで、固さを感じたそちら側に、わたしは溶けることができなかった。でも、本当に嫌なわけじゃないのだ。温かいということは事実であって、それを素直に受け取れなかったあの日の自分のことを思い出している。でも今、コンクリートの温かさを感じながら、きっと今でも変わらないと確信してしまっている。明日引っ越す予定のこの部屋は西に窓がついていて、帰るといつも生ぬるかった。