好きでも嫌いでもない街

今週のお題「好きな街」

 

急に、弟から「お姉ちゃんのせいでパパお金全然くれんやん!!!」というラインが来て、傷ついて泣いた。

わたしが役者をやってるせいで、お金がなく父に今月大目に仕送りをもらったのである。

弟は大学生で、一人暮らしをしていて、部活をやっていて、YouTuberをやっている。故に、時間がなくバイトはしていない。ハタから見ると、「いや、バイトしろよ」と思うけど、まあ、それだけやってれば時間がないのもしょうがないのはたしかでもある。大学の運動部は、意外と時間もとられるし、必需品のためのお金もかかる。YouTuberをやって有名になって、お金を稼ぎたいのもわかる。YouTuberもみんな若いときからやってなんぼだし、ていうかYouTuberは旬を逃しちゃいけないし。

 

わたしももう24だし、前から、親からいつまでも仕送りをもらってることが荷重になってる。それに加えて弟。わたしだけ好きなことをやってるせいで、弟は好きなことができない。そうかそうか、わたしの気持ちだけでなくて、弟の未来にも関わっていたなんて、それはほんとに申し訳ない…わたしのせいで……。

と、わたしは通知欄にこの文章が現れてすぐ涙が出た。しかしその次には「こんなにすぐ泣いちゃう繊細で精神的に弱い人間に追い打ちをかけるなクソ弟が」とわたしは思うような人間である。

 

そして、よくよく考えてみたところ、たしかに、事象としては弟のいう通りである。わたしにお金が渡っているせいで、弟に渡るお金が減っている。しかし、違うだろうが!?わたしはTwitterで気持ちを整頓した!⬇︎

 

しかし、弟は小さい頃から、お金の使い方が荒く、お金がないなら人から貰えばいいじゃないの精神で生きているので、全てが正しいわけじゃない。わたしが大学生のときもらってたのと同じだけの仕送りをもらってるんだし

 

わたしが、「部活をやるかYouTubeをやるかどっちかにして、あなたもバイトをしなさい。そして節約しなさい」というのも、間違っていないはずだ。テニスは趣味にしては時間もお金もかかりすぎるのだから。それと並行して他もやろうなんて欲張りだな、うん。

 

うん、わたしは大学のときだってめちゃくちゃつつましく生きてたもんね。弟より狭いし大学から離れた部屋に住んで、趣味もお金がかからないものしかしないし、お金がないから劇もそんなに観に行けなかったし、絶対やりたいことは演劇と大学をちゃんと卒業することだけだった

 

うん、わたしの行い100正しいな。たまたま、事務所のせいでお金がなくなりすぎてるだけだな…急に文句飛んで来たけど、毎月父、弟にお金あげてたのが、急にわたしのせいであげられなくなったなら、お前それまではもらっとるやないかい!お姉ちゃんは今月特別や!!ってことだし、うん、100でした

 

 

と、いうわけで、わたしはわたしが悪くないことを証明し、泣き止んだのである。やったね!

父がわたしにお金をくれるのは、わたしが東京で夜の仕事をしないようにするためでもあることを知っているが、弟には特に言わなかった。父はなぜか、スーパーやコンビニでバイトをすることすら、誰でも使う場所だから治安が悪いと止める。社会のことを逆に知らないって感じがする。そんなこと言ってたらアルバイトなんてできないだろう…。なんでそこだけ急に娘を箱に入れる…?

 

わたしは三人兄弟の真ん中で、兄と弟に挟まれている。こんなふうに、弟とも、兄とも、意見がぶつかって喧嘩もするけど、基本的に小さい頃からおんなじゲームをしたり、テレビを見たりして育った仲良し兄弟だ。わたしは、兄弟がバラバラになって、家族がバラバラになってることが、寂しい。最初に家を出たのは、東京の大学に進学したわたしの癖して。でも、だからわたしがいちばん寂しいのかもしれない。

 

昨日会った、昔の知り合いの、作家をしている人が、「自分の故郷は好きでも嫌いでもないけど、死ぬときは自分の実家の自分の部屋で死にたい」って言っていた。わたしも、自分の地元の街は、好きでも嫌いでもない。特筆して、なんにもないからだ。本当に何もない、平野で、家と、田んぼと、畑と工場が、同じ分量くらいの町なのである。これは、小学2年生の生活の時間に調べ済みである。(意外とこんなことを印象的に覚えてるので、やっぱりもともと地理好きの素質を持っているんだな)

こんなどうでもいい街だけど、やっぱりわたしは、自分が長く濃く生活した街が好きだ。そこにはたくさん思い出というか、わたしが、わたしだけが感じ考えた場所の記憶っていうものがあるから。

 

この間、彼岸花の群生を見に行ったけど、わたしの頭の中にはずっと、初めて見た彼岸花の映像と、これは彼岸花っていうんだよと教えてくれた、たぶん母か祖母の言葉が浮かんでいた。それは、家のすぐ裏の、昔の集会所の裏のしめった日陰に、毎年二、三輪ひっそりと咲いていて、その彼岸花を下校のときに見るのが好きだった。そこは、わたしが高校生になって、下校ルートから外れてから、解体されてしまって、彼岸花も咲かなくなってしまった。

彼岸花がたくさん咲いているのを眺めながら、わたしはあのときの家の裏の彼岸花のことを考えて、このたくさんの彼岸花の風景には、わたしにとってなんの思い入れもないからダメだ、いまいち感動できない、と思っていた。

街でも、物でも、わたしはそこに背景・物語があるもののほうが好みだ。物語という付加は強い。

わたしは、あの家の裏の彼岸花の下で死にたい。自分の育った街のことなんて、好きでも嫌いでもないけど。生きるほど、もうどこにもないものが増えていく悲しさを、みんなどうやって乗り越えていくんだろう。