多数のこと、少数のこと

今短期バイトでチョコレートを売っているが、お客さんはみんなおんなじような感想を言うし、おんなじような質問をする。

「人間、それぞれ違うようでこんなにおんなじような考えばっかに辿り着くもんだなあ」と思う。


まあ、それは「りんごは赤い」ということといっしょなんだろうなあ。

でも昔、ワークショップかなんかで「「卵」という言葉で浮かぶ言葉は?」という問題に6人くらいで少なくとも3つの答えが出たように思う。人間はそれぞれ違うのか?ほとんどいっしょなのか?わかんない。わたしはおんなじような文言を何度も聞いているので、「みんなもっとオリジナリティをもてよ!つまんないよ!恥ずかしくないのか!」と思ってしまう。

他人と同じことを思うのは恥ずかしいのだろうか?他人と同じことだけしか思えないのが恥ずかしいのだろうか?なんで感受性にオリジナリティがないと恥ずかしくいんだろうか?誰かに言わされているようだから?




舐められてんのかなあ?と思うことが多い人生である。

バイト先の明らかにわたしより年上だろう人になめられている。同じ短期バイトでほぼ同じ時期、むしろわたしのほうが早くはじめたのに舐められている。

わたしの何を見てなめてんだろうか。顔だろうか。声だろうか。立ち姿だろうか。

わたしはほんとに、仕事の場でなめられる。学校では、勉強ができるかどうかはある程度可視化されていた。別に順位が張り出されるわけでもないのに。やっぱり仲がいい子にしゃべった自分の順位が少しずつ伝わるんだろうか。

わたしは勉強ができたのでなめられなかった。それどころかわたしは品行方正で、しっかりもので大人しくて本なんか読んじゃったりして、男子からはわたしだけ「さん」付けで呼ばれていたのだ。そんなわたしがなめられるわけがない。

高校生に入って、そういった自分は嘘だった、と自分で気づいて自分を取り繕うために真面目な顔をするのをやめたら、途端になめられ始めた。

もともとわたし自身の自然体に近づいていったのでまあわかるが、それにしても生きてきた年数の半分より少ないはずの年数で、ここまで舐められるようになるとは。どういうことなんだ。

初めのうちは、周りの態度が違うことにうれしみもあったけど、戸惑いもあった。「いえいえ、わたしは頭も良くて物を良く知っていて、あなたにそんなふうに思われるような人間ではありませんけども」。

雑な扱いを受けたことがなかったので、とても悲しかった。初めてファストフード店でバイトを始めたが、仕事の覚えが悪いこと、うまくできないことで、高1のわたしは完全に自信を失っていた。今思えば。

「わたしはあなたたちが思うようなバカではないのに」

でもそれを示す術がわからなかった。


今ではある程度いろいろな場所でバイトをしたりして、新しいところでもそこまでうろたえず仕事をできるようになった。わたしにとって仕事をするということに慣れが必要だっただけなのだ。わたしは今は自信を持って仕事ができる。

たとえわたしを雑に扱う人が現れても、その相手が悪いのだ、と思うことができる。

そういった自信を手に入れられたのは本当にわりとここ最近な気がして、何がわたしを変えたんだろうなあと思うけど、まあそれは心の持ちようとかではなくて、ほんとにいろいろな要因なんだろうな。体の調子とかさ。そのための生活だとかさ。


とにかく、わたしはわたしを雑に扱う人間を許さない。わたしはわたしが大好きだから。