谷口くんの話

谷口くんの言葉にはいつも現実味がない。谷口くんに現実味がないのかもしれない。今日もビールを飲みながらそう思っていたことは内緒だ。

その日、わたしたちはお金がなくて、でもいつも通りに、上がったテンションを下げるために大学の近くの鳥貴族にいた。

雨が、ほんの少し降り始めていた。

三人なんですけど。

すぐ入れるって。

よかった、雨、これ以上降るかな。

天気予報ではくもりだったけど。

そっか。

明日、ばあちゃんの葬式に行かなきゃなんだよね。

え、おばあさん、亡くなったの?

うん、そうみたい。さっきライン入っててさ。

実家どこだっけ?

所沢だよ。ばあちゃんは行田市だけど。わかる?

ああ、埼玉。

うん。

じゃあ明日のスタジオ練無理ってこと?

うん、ごめん。

じゃあ俺とアヤだけで合わせるしかないか。

いや、いいんじゃない?明日は休みで。わたしもバイト連勤続いてて、声調子悪いし。

いやお前さ、バイトで調子悪いってさあ、おかしくない?やる気あんの?プロ意識が低すぎるよ。

ああ、うん、ごめん。

わたしはほんとは篠山と二人での練習が嫌なだけだった。

でもさあ、

と、谷口くんが口を挟んで、

「ばあちゃんとなんて、ずっと会ってなかったから、俺にとってばあちゃんはもうずっと死んでるみたいな状態だったわけ。なのに死んだから葬式って言われても、全然わかんないよなあ」

は、お前なんだよそれ、不謹慎じゃね?

いや、まあ、そうなんだけどさ。てか実際死んだんだから不謹慎も何もなくない?

いや、そういう問題じゃねぇだろ。笑えるけど。お前ってだからさあ、

わたし篠山が言う「お前」がひどく嫌いで、谷口くんの言葉だけを追おうと必死に反芻していた。

「ばあちゃんとなんて、ずっと会ってなかったから、俺にとってばあちゃんはもうずっと死んでるみたいな状態だったわけ。なのに死んだから葬式って言われても、全然わかんないよなあ」

雨は予報通り、もう止んでいて、わたしは冷えたコンクリートを眺めながら、谷口くんのおばあさんのことをぼんやり想像した。

 

 

 

 

お疲れ。

あの日から4日後に、スタジオ練習のためにわたしたちは集まった。待合スペースでわたしと谷口くんは会った。

どうだった?お葬式。

葬式どうだったって、なんかおかしくない?

あ、そうだね、ごめん。

人が死ぬってことが、ずっとわかんないんだよな俺。

ふーん。

うん、こないだも言ったけどさ、俺にとってばあちゃんなんて、死んでても死んでなくてもいっしょだったわけじゃん。それで、ほんとに死んだっていって、何が変わるってわけじゃなくて。ばあちゃんが棺の中にいて、顔を見ろって親とか言うけどさ、あれ、なんの意味があるんだろうな。俺はさ、死体を見にわざわざ行田まで来たのか?って着いたとき思ったね。それで、見ると、きれいでもないしおぞましくもないし、なんでもないんだよな。小さい頃俺の面倒みてくれたあのばあちゃんが、あの頃よりしょぼっとして、でも整えられて寝転がってるの。写真を見てるみたいな距離感だった。でも、俺は本物と対峙してて。いや、本物っていうのは、なんか違うな。ばあちゃんは、もうそこにはいなかったのに。

なんとなく、わかるよ。

あ、ほんと。よかった。

わたし、篠山のこと嫌い。

あ、ほんと。俺も嫌いだよ。

嘘、じゃあなんでバンド組んでんの。

あやかもじゃん。

そうだけど。

篠山はね、無邪気なんだ。無邪気だから、俺は嫌い。だけど、好きなんだ。

わたしも、最初はそう思ってたけど、もう、やになっちゃった。

そっか、じゃあ解散しよっか。

うん。

あやかはさ、歌うのが好き?

よくわかんない。

そっか。

おばあさんとの、いちばんの思い出って何?

ばあちゃん、いつも俺に厳しくて、なんていうか考え方が昔の人でさ。男なら強くなれ、飯をたくさん食え、みたいなさ、そういうのばっかで、全然いい思い出ないんだよな。

篠山が死んだら、わたし、悲しいかな。

悲しいに決まってんじゃん。

谷口くんは、おばあさんが死んで悲しかったの?

悲しくなかったに決まってんじゃん。

と、言って、谷口くんは笑った。

篠山はその10分後くらいにやってきた。

お前、いきなり解散とかわけわかんねーこというなよ!

ごめんね、わたしはもう、棺桶の中で冷えきっているんだ。わたしにとって歌うことも、今はなんなのかわからない。

もし今篠山が死んだら。

わたしはそう想像して泣きながら、谷口くんが篠山を殴るのをぼんやり見ていた。